ひとりごと

迷いながら書きます。読んでいただきありがとうございます。

酒は静かに飲むべかりけり

今週のお題「秋の歌」

 

「秋の歌」と聞いて、真っ先に思い浮かべるものがある。

 

〈白玉は歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり〉

 

国民的歌人若山牧水の代表的な歌の1つ。

父親の好きな一首でもある。

 

私がお酒を覚えたのは大学時代。

梅酒のお湯割りから始まり、ビール、焼酎、日本酒、ワインと、1年後には、どんなお酒も美味しく飲めるようになっていた。

お酒を飲むのを覚えると、不思議と食べ物の好き嫌いも減った。苦手だった椎茸は焼酎に合うし、レバーペーストはワインにピッタリだ。

飲むのが楽しくなり、色んなお店に行った。

何度もお酒で失敗したが、はじめての失敗は、忘れることができない。

 

色んな人と飲み歩くようになった、21歳の夏。

初めて連れて行ってもらったスナックで、美しいお姉さんの隣に座り、緊張しながら焼酎を水割りを飲んでいた。

知らない人の、知らない歌に手拍子を打ちながら、そろそろ帰ろうと、コップに残っていた焼酎を煽った。

一緒に飲んでいた人の様子を伺う。楽しそうに飲んでいる。どう切り出そうかな、と考えながら、視線をコップに戻す。ふと、違和感を抱く。飲み干したはずのコップに、溢れんばかりの焼酎が注がれている。あれ? 私、おかわり頼んだっけな? と、首を捻りながらも、残してはいけないと、コップに口をつける。不思議に思いつつも、乾き物を肴に、チビチビと焼酎を啜る。

半分以上飲んで、もう一度周りの様子を伺う。楽しそうにカラオケを歌っている。テーブルに視線を戻す。

コップに、たっぷり、焼酎が残っている。

おや、おかしいぞ。隣に座る、美しいお姉さんをチラッとみる。目が合うと、ニッコリ微笑んでくれる。照れながら、コップを手に取る。ここの焼酎は、減らない焼酎なのだ。なるほど、なるほど。ふむふむ、なるほど。

 

気付くと、はじめてのスナックを体験させてくれたオジサマに、温かいお茶を飲ませてもらっていた。途中から記憶がない。後日、ふにゃふにゃになった私と、美しいお姉さまとのツーショットを見せてもらった。

翌日はもちろん、地獄のような二日酔いに苦しんだ。

減らない焼酎。不思議で、忘れられない体験だった。

 

その後も、何度もお酒で失敗したが、社会人になってしばらくして、ようやくお酒との距離感を掴めるようになった。

 

特に最近は、コロナ禍で『飲み会』が無くなり、お酒との付き合い方も変わった。

静かな部屋で、虫の声を聴きながら、ゆっくり飲む焼酎は、うまい。

今ならわかる。

 

酒は静かに、飲むべかりけり。

気付けば惚気話

今週のお題「叫びたい!」

 

結婚して間もなく、既婚者ばかりの会食の席に参加した際、居心地の悪さに驚いたことがある。

 

その席では、参加した女性全員が既婚者で、結婚して10年近い人も、新婚まもない人もいた。

他愛もない話から、家庭の話題にうつり、いつの間にか、夫の愚痴大会になっていた。

 

「リモートワークで家にいるから、お昼ごはんとか面倒くさい」

「ぜんぜん私の気持ちをわかってくれない」

「良かれと思って、余計なことしかしない」

全員が、一つずつ、夫に対する不満を口にする。

 

当時、大好きな人と念願かなって結婚したばかりだった私はネタがなく「まだ不満はないですね〜」と白けさせてしまった。

何を言えば良かったのか。

 

後日、結婚して5年程経っている友人に会ったときも、しばらく世間話が続いた後、ふと「旦那さんの嫌なところってどんなところ?」と聞かれた。

『嫌なところがある前提』の話題の振り方に驚き、その際も「まだないなぁ」と返して、微妙な雰囲気にさせてしまった。

 

夫の不満を、他人に聞いてほしい、共感してほしい、という文化は、私の住んでいる地域特有のものなのだろうか。

夫に対する不満(ただし、引かれない程度の軽さで、共感を得やすい話題)をひとつ持っていないと、コミュニティでうまく立ち回れないのだろうか。

 

結婚して、1年以上経ったが、未だ不満は生まれていない。日々思いついたことは、都度話し合い、解決しているので、外で話すまで怒りのエネルギーがもたない。

むしろ、感謝している話題ばかりが増える一方だ。

 

私は、惚気たい。

好きな人の、好きなところを、思い切り叫びたい。

 

そんな話題を求められる場面なんて、ないと分かっているので、もう一度、不満について考えてみる。

 

捻り出すなら、私の就寝後に、こっそりお菓子を食べていることだろうか。

ずるい、という気持ちと、晩ごはんが足りないのかな?という心配と、体に良くないんじゃないかという不安と、気持ちは複雑だ。

果たして、夜中にお菓子を食べられることは、外で話せる不満に値するだろうか。

よくわからない。

 

わからないことが、幸せなのもかもしれない。

これから、夫に対する不満が出てくるのかもしれないが、それも、少しだけ、楽しみだったりする。

【オススメの本】という言葉の恐怖

今週のお題「読書の秋」

 

会社の朝礼で「オススメの本はなんですか?」と、唐突に聞かれた。

あがり症の自分は、突然の名指しに頭が真っ白になってしまう。その場にいる全員の神経が、私の言葉に集中する。地獄のような状況で、当然うまく答えられず、 デスクに置きっぱなしになっていた、 グラビアモデルのエッセイ本を紹介した。
微妙な空気に赤面したまま朝礼が終わり、デスクに戻った私は、ザ・フォーク・クルセダーズの『悲しくてやりきれない』を無心で流して、 何も考えないようにした。
(もちろんそのエッセイはお気に入りで、 楽しく読んでいるのだが)

【オススメの本】という言葉ほど、怖いものはない。
質問してくる相手にとっては、 軽いコミュニケーションのよくある話題のひとつで、 あまり深い意味がない場合が多いだろう。
でも、自称読書好きの自分としては、 試されているような気がして、 軽い気持ちで答えることはできない。

書店に勤めていたころは、まだよかった。
「中学生の子供に読ませたいんだけど、何がいいかしら?」
「大学で太宰治にハマったんですけど、 他におもしろい本ありますか?」
など、具体的かつ、嗜好、目的がハッキリした質問であれば、 嬉々として回答できた。
一緒に悩み、あらすじを説明し、 本を紹介する時間は幸せな時間だった。

しかし、何も手掛かりのない状況で、本を紹介しろ、と、 唐突に言われても困るのである。

応えられなかった自分に残った感情は【悔しい】だ。
大好きな作家さんはたくさんいるのに。 何度も読み返したい本はたくさんあるのに。

普段本を読まない人に、谷崎潤一郎の『細雪』は難しいかな。
ミステリばかり読んでいる男性の方に、小川洋子さんの『琥珀のまたたき』 はピンとこないかな。
物語しか読まない人に、壇原照和さんの『白い孤影 ヨコハマメリー』は違うかな。

ぐるぐる、ぐるぐる。

私がこうしてウジウジ悩んでいても、質問してきた人は、 質問したことすら、忘れているのだろう。
わかっているが、どうにも悔しい。
手札を作らねば、と、決意する。
今度、誰かに聞いてみよう。

 

「オススメの本があったら、教えてください」

 

最後の晩餐

今週のお題「お弁当」

 

“最後の晩餐に食べたいものは?“という、よくある質問に、学生時代の頃は必ず【母の作る甘い卵焼き】と答えていた。

母親が作る卵焼きは、甘く、ふわっとしていて、とても美味しい。

お弁当の2切れだけでは物足りず、晩ごはんのおかずに出して欲しいとねだったこともある。

(その日の夜「アレンジしてみたの!」と嬉しそうに出してくれた卵焼きは、出汁がきいたのっぺりとした卵焼きで、それはそれで美味しかったのだが、しょんぼりとした気持ちは隠せなかった。)

 

お弁当の中の卵焼きは、黄色く輝いていて、とても美味しく、お昼休憩の時間を、毎日等しく幸せなものにしてくれた。

いつも2切れ入っていたので、最初のひとくち、最後のひとくちを、必ず卵焼きにしていた。そうすると、お弁当の時間、最初から最後まで、幸せな気持ちでいられるのだ。

わたしにとって、母親の卵焼きは、唯一無二で、幸福の象徴だったと思う。

 

しかし、いまのわたしが“最後の晩餐”で食べたいものは【伊勢海老の味噌汁】である。

浅ましい大人になってしまった。

甘く、ふんわりとした卵焼きは、いま、わたしの夫の好物になっている。

 

ちなみに、夫に“最後の晩餐に食べたいものは?”と尋ねたところ【焼き肉】と答えられた。わたしの手料理ではないらしい。

しばらくして【とんかつ】も捨てがたい、と声をかけられた。

夫は難しくても、子どもができたら、わたしの手料理を選んでもらえるように、愛情込めてごはんを作ろうと思う。